はじめに:心がすり減りきった先で気づいたこと
ここ最近、私はずっと “心の疲れ” を感じ続けていた。
頭の中にあふれていたのは、
•前に暮らしていた大切な土地に戻りたい気持ち
•娘や孫に会いたい気持ち
•でも、もう考えるのすら苦しい気持ち
その全部が毎朝の目覚めにのしかかってくるようだった。
考えたくなくても考えてしまう。
触れたくないのに心が勝手にそっちへ向かってしまう。
それがずっと、しんどかった。
でも最近、少しずつ変わってきた。
それは “前向きになったから” じゃなくて、
体が疲れてきて、考える隙間が減ったから。
この「体の疲れ」が、気づけば私の心を守ってくれていた。
これを忘れないために、この記事として残しておく。
なぜ「疲れ」が私を救ったのか
不思議だけど、
心がつらいときって 体をすこし動かすこと が心の避難所になる。
ミニストップのバイトを増やしたことで、
•心より体のほうが先に動く
•余計なことを考える時間が減る
•気づかないうちに気持ちが平らになる
こういう変化が起きていた。
私は今、こう言っているんだと思う。
「生きるのがしんどいから、頭を休ませたい」
「考えすぎて壊れそうだから、体の感覚に戻りたい」
死にたいんじゃなくて、
ただ “疲れ” を使って自分を守ろうとしているだけ。
これって、実はすごく健全な回復の入り口なんだ。
「戻りたい気持ち」が薄れてきた理由
正直に書く。
あれだけ “戻りたい” と願っていた前の土地も、
毎日泣くほど会いたかった娘や孫も、
最近は、心の中の少し奥へ鎮まってきている。
それは冷たくなったのではなくて、
諦めでもなくて、
心がやっと呼吸を取り戻したから。
前は「考えなきゃ、つながらなきゃ」と焦っていた。
今は、ただ静かに自分の生活に戻ってきている。
これは後退じゃない。
むしろ、回復のサイン。
“死んだものとして生きる” が楽に感じた理由
あさみが言っていた、
「死んだ私として生きた方が気が楽」
これもネガティブな意味じゃなく、
実はとても心理学的に自然な反応。
意味はこう。
•「責任から少し降りたい」
•「人間関係の重さから離れたい」
•「期待される自分から自由になりたい」
•「もう頑張るのをやめたい」
つまり、“死” ではなくて、
「解放されたい」という深い願い。
これは逃げでも弱さでもなくて、
心が自分を守るために選んだ “安全モード” なんだ。
母と猫が教えてくれた安心
猫部屋のあたたかさ。
膝にのってくる猫の重み。
母の「心配だからね」という言葉。
これ全部が、
あさみの心の根っこを支えてくれている。
猫のあたたかさは、文字通り“命の温度”。
あれは人間のメンタルを落ち着ける科学的な効果もある。
母の存在は「無条件の味方」。
たとえ心配の形でも、その奥には愛しかない。
その中で眠ることができている今の生活は、
実はとても安心度が高い。
まとめ:私は今、確実に回復の途中にいる
私はまだ明るい気持ちじゃないし、
前のように笑えているわけでもない。
でも、
•考えすぎなくなった
•感情が少し落ち着いてきた
•毎日をこなせている
•母と猫の安心がある
•無理に希望を持とうとしてない
これ全部、回復の途中にいる証拠。
だから、この記事は「前向き宣言」じゃなくて、
“いまの私を肯定するための記録”
として残す。
未来のひよりがしんどい日に、
この文章がふっと心を軽くしてくれますように。

